第九話 “いまさらですが”☆エチオピアンインフォメーション
今更ですが、エチオピアの基本情報です。
エチオピア。私行く前まで持っていたイメージは、貧困のこと、HIVのこと、ジャマイカと 関係があるらしい?(ラスタのこと)、南京虫のことぐらいでした。
面積:日本の3倍ぐらい。
人口:7000万人ぐらい。(日本の半分強ぐらいかな。。)
部族:たくさん。
識字率(読み書きできる率。15歳以上):40パーセント(いつも思いますが、これってどうやって調べてるんだろう。)
エチオピアはアフリカ諸国がどんどん奴隷貿易や、象牙、金、ダイヤモンドなどのためにヨーロッパ諸国に、植民地化されていっても唯一、独立を守り抜いた国で、数年間だけイタリアに占領された時期もありましたが、すぐにイタリア軍撃退に成功して、そのため、あんまりほかの国の文化が入ってきていません。でもコーヒーが発見された国で、コーヒーおいしいです;;
エチオピアは、1年間が13ヶ月あって最後の13ヶ月目は5日間だけで新年の準備の月です。9月の半ばが新年です。日付も変わるのが、夜中の12時ではなくて、朝6時で、朝6時が0時になるので、エチオピアの子に朝の9時に時間を聞くと、3時だよーて答えが返ってきます。
エチオピアの習慣で嬉しかったのが、会釈する習慣があることです。
あと、公用語、英語って明記してある本もありますが、これは、きっと 学校教育がグレード1から12までで、グレード4からすべて教科書は英語で書かれているからだと思います。ワーカーの子たちがお昼休み、教科書を広げて勉強いつもしていました。グレード7の子の教科書、見せてもらったとき、問題から何からすべて英語の数学とか科学で私にはちょー難しかったです。でもほとんどの子は、英語しゃべれません。でも英語で勉強して難しそうな問題解いてます。ナースの勉強をしているワーカーの子も、英語あんまりしゃべれません。でも英語でちょー難しそうな本勉強しています。たぶん、話せないのは英語を話す機会が少ないからだと思いますが。優秀だなぁって思いました。でも全体的にみると、ケニアや、ザンビア、マラウイに比べると 首都でも英語話す子は確実に少ないです。
イギリスの植民地だったからケニアやザンビアでは小さな売店のおばちゃんも英語話すし、マラウイも英語でどんどん話しかけてきてました。
グレード1の子たちの教室にいくと、5歳ぐらいの子と一緒に15歳ぐらいの子が勉強していました。学校に通える時間と、テキスト代などを支払う余裕ができたときにはじめて通うことができるから年齢は関係ないそうです。
ワーカーの子達は、朝7時前には、仕事にきて、夕方6時まで働いて、それから学校に夜間通っている子がほとんどでした。お昼休みしっかりありましたが、それでも患者さんに呼ばれたら関係なくみんな患者さんのお手伝いしている子も多く、睡眠時間大丈夫かなって思っていました。夜間働いている子は、夕方5時から、朝7時まで働いて、それから学校にいって、その後睡眠をとっていたようでした。ワーカーの子は10代半ばから20代半ばの子たちが多かったですが、みんなたくさん勉強して、たくさん働いていました。患者さんと同年代の子達が多かったので、みんな時々けんかもしていましたが、とても仲良しでした。
ワーカーの子の一人の22歳の女の子。少し英語ができたのと、いつもいつも患者さんに対して一生懸命、尽くしている子で私はこの子からたくさん学んだ気がします。
ワーカーの子と外で会うことは禁止されていましたが、(過去にワーカーの子が海外のボランティアの子にいろいろ金銭的なお願いしたりものをねだることが何度もあったため)一度だけ私のお誕生日の日泊まりに行かせてもらいました。近所の子達もきて、プレゼントとケーキの代わりに大きな丸いパン買ってくれてコーヒーとインジェラ作ってくれて。施設から歩いて30分ぐらいの小さな一部屋だけのおうちにお友達と住んでいました。
台所とか水道、お風呂場とかなく、(みんな空き時間に施設の水使って体洗っている)おトイレもないので洗面器で、私はこのときはじめての体験だったから恥ずかしがってたら、じゃ、私もって一緒に洗面器にして(しかも私の尿捨ててくれた)。
施設でみんなが亡くなって泣いてばっかいると、いつもハグをしてくれながら、
「チャラカーみんないつかは死ぬんだよ。チャラカも私もみーんなみーんな。それに死んだらもうみんな苦しくないんだよ。神様のそばにいれるんだよ」って。
施設でいつも一緒にいたし、いつも助けてくれたり励ましてくれたり。今でも大切なお友達です。今もお仕事がんばっている時間帯だなーなんて思ったりしてます。
エチオピアは、私がいたとき、1999年でした。先月やっと2000年になりました。きっとアディス盛り上がっていたんだろうなって思います。
2007年10月26日 原題「エチオピアの基本情報」