第一部 「無防備に」
無防備なまま、旅の途中で飛び込んだアフリカ…
出会いと別れの中で、みんなに聞きたいこと、聞いて欲しいこと
第一話 もう一度会いたい
ここ、エチオピアにきたばかりの最初の2日間、USの看護婦さんと一緒に、病室を手当てをしにまわっていたとき、1階の病室の一番日の当たらない、昼間でも薄暗い感じのする場所にあるベッドに寝たきりのトルナシっていう22歳のがりがりの女の子がいました。
トルナシは、2箇所だけ両足のかかと部分から膿と出血していました。USの看護婦さんは、ぱぱっとガーゼと包帯をかえて、薬品をつけていました。私は来たばかりで、言われた物を渡したり物を持っているのがやっとできる程度でした。
あまりの手際のよさにほほぉーと感心していました。
“でもこの患者さん、顔の皮膚もめくれあがっているけど、顔の手当ては今日はいいのかな”って思っていました。
USの看護婦さんたちが違う施設に行ってしまって、次の日、私一人でみんなの手当てをしに回っていてトルナシのところへきたとき、汚物の悪臭がするのに気づいて、毛布を「ちょっとごめんね。みせてね」ってめくってみると、汚物とともに、両腕、両足の皮膚もぐちゅぐちゅになって肉がみえている部分があったりしてひどい状態でした。
着ていた病院服を脱がせて体をチェックしてみようと思って、服を脱ぐのを手伝おうとするとすごく痛がります。体は麻痺はしていないようですが、ほとんど自分で動かせる感じではありませんでした。ゆっくりゆっくり服をぬがせて、真っ裸の状態でチェックしてみると体中の30箇所以上の皮膚がめくりあがって、すべての箇所から血と膿がだらっとでていて、あまりの箇所の多さにどうしていいかわかりませんでした。
ワーカーの子に聞くと、知らなかったっていいます。でも服は2日に1回は換えてあげていて肌を見ているはずです。ドクターを探して、診てもらいました。
自分からあまり話そうとしないトルナシは、診察の際、HIVのテストだけ受けたようでした。ドクターも、どうしてこんなになってしまっているのかわからない。原因不明だ。とだけ言って塗る薬品だけカルテに書いてくれました。
ガーゼに薬品を塗ってつけて、包帯が必要な部分は包帯をして。でも治療が必要な翌々日に、ガーゼをとめてあるテープをはがすと一緒にきれいな部分の皮膚まではがれてしまいます。きれいに皮膚がテープと一緒にくっついてきてしまって…。私がまた傷を広げてしまって、すごくショックでした。
「ごめんねごめんね。痛かったよね。」って謝って次の場所はゆっくりゆっくり神経を集中させてテープをはがしたのですが、やっぱり皮膚までめくれてきてしまって。
ドクターに相談しにいくと、あんなもろい壊れやすい肌は見たことがない。どうしていいかわたしにもわからない。と言われてしまいました。
プラスターの中でも、粘着力の弱いものをストックの中から捜して、試してみてもやっぱりだめで。大きな病院にいったときに、別の先生に相談してみました。
ネット状になっているガーゼがいいんじゃないかとのことで試してみました。
100%ではなかったのですが、やっと皮膚がめくれなくなって一緒にそばで心配そうに見ていてくれた隣の患者さんと喜んだのを覚えています。
トルナシの手当てがある日は、30箇所以上ある傷口の手当、慎重にやるのですごく時間が必要でした。
ほとんど裸に近い形で手当てするのでその場を少しでも離れることが悪い気がして私も汚い話ですが、ほぼちびり気味でときどき手当てしてました。
麻痺ではないけど、あまりに体中、痛んだ肌なので、ご飯も自分では食べれず、お昼ごはん、夜ご飯は私が食べさせてあげるのが日課でした。
ある時、マルタ島出身の女性で、そのかたがエチオピアの子供たちのためにお家を建ててあげる計画をしていて、日本大使館にドネーション(寄付)をお願いしたいから今日の午後一緒に来て欲しいと言われました。
その話をトルナシにお昼ごはんをスプーンであげながら、英語のわかるワーカーの子に
「今日の午後ちょっと戻ってくるの遅くなっちゃうかも」
って英語で話をしていました。
それを黙って聞いていたトルナシが突然大粒の涙を出して、えっと思って、「どうしたの?」ってきくと、ワーカーの子が聞いてくれて、
「チャラカ、日本に帰らないで。チャラカが日本に帰ったら私死んじゃうよ。お願い」
って言ってるよって教えてくれて。
すごくすごく嬉しく思いました。
私たちの会話の中にジャパンって言葉がでてきたので勘違いしてしまったみたいでした。
「チャラカ、コンジョブズブズゴーバス、ジャパンコンジョ」
(さやか、ナイス、グット 日本、ナイス)
って、よく言ってくれました。
時々、寝たきりの子には、現地の新聞や、本なんかがあればいいだろうなって思って、はりきってもってきても、ほとんどの患者さんは教育を受けていないため、文字を読むことが出来ず、トルナシもやっぱり読むことができませんでした。
体中、額から首からわきの下からすべてに、ぐちゅぐちゅの傷口があって、包帯だらけで。
あるとき、手腕に巻かれている包帯に赤いペンでうさぎを描いてあげました。
そしたら笑顔を作ることは顔にある傷口のせいでできないけど、すごく嬉しそうな目をしてくれて。
目だけでも、人の感情って読み取れるんだってわかりました。
トマトが嫌いなトルナシに間違ってスプーンでトマトがはいってるワット(シチューみたいなの)食べさせちゃったときの、ショックそうな目とか、しらみがひどかったため丸刈りにしたあとに私が「かわいいね。似合うね」って言った時の恥ずかしそうな照れたような目とか。
ある時、手当てのあとにトルナシが、「今日は長袖で丈の長いガウンが着せて」って言いました。
いつも服が、傷口に擦れて痛いので、半そでのトップだけで、下半身は裸のままでした。
長いガウンは、着るときにも痛いし、どうしたのかなって思って、もう一度聞くとどうしても今日はそれがいいって言います。
おかしいな。どうしたのかな。と思いながら、ゆっくりゆっくり慎重に着せてあげると今まで、ベッドで完全に横になった状態で排泄もご飯もしていたのに、起き上がりたいって言いました。
お尻の肉がまったくなく、お尻だけに重心がかかるととても痛いと思うし、あと傷口がお尻にもあったのではらはら不安だったのですが、ベッドの横にちょこんと座れて。
あんまりにちょこんと座れたその格好がかわいらしくてワーカーの子や他の患者さんと
「やったね。トルナシー」って喜んだら、トルナシ、今度は立ち上がりたいって言います。
えー、嬉しい。でもどうかな。大丈夫なのかな。
って思って、今までベッドの上だけだったので靴も支給されていなかったから、ワーカーの子がすかさず、「私の使って」って言ってくれて、その場で自分の靴を脱いでくれて。
手で支えてあげるために傷口のない皮膚を探しましたがどこをさわっても傷口があるため、手を握ってあげて、そしたら立ち上がって、そしてゆっくりゆっくりだったけど1歩1歩、歩いて病室のすぐ隣にあるお手洗いに行って、自分で用を足そうとしました。
便器の中にたくさんの前の人の汚物が山盛りになっていて、悲しそうな目をしてじっと見ていて、私が水を汲んできて、流してあげるとゆっくりしゃがんで、自分で用を足していて。
そんな彼女になんだかお母さんになった気分で嬉しくてたまりませんでした。それからまたゆっくりゆっくり立ち上がって、
「トルナシ 今日はお天気がいいから 少しだけ太陽みてみないかな?」
って聞くと、ゆっくりうなずいて、 病室とは反対方向に一緒に
1歩1歩、歩いて、少しだけテラスのような外が見える場所にきました。 あーだからトルナシ今日は長い服がいいって言ったんだな。ってやっとわかりました。
テラスには、たくさんの動ける患者さんが、ひなたぼっこやおしゃべりをしたりしていました。みんな一斉にトルナシを見て、すごくおどろいた顔をしていました。
トルナシも少し困ったような悲しい顔をしていました。
やっぱり一生懸命隠すために着たロングガウンから出ちゃっている、傷口だらけの足先の部分、手の甲、首の部分、皮膚がただれて半分しかあいてない両目。
他の患者さんは、話すのをピタッと止めてじっと見ていました。
「少し座ろっか」ってゆってベンチに腰を下ろして、周りにいた患者さんに、
「トルナシってゆうの。よろしくね」
って言うとみんなすぐにトルナシに話かけたりしてくれて。みんなあったかいな。って、じーんとしました。
それからまた立ち上がって、太陽をみようと一緒に少し進んで、眩しそうに太陽をみていた顔がすごく印象的できれいだなァって思いました。
トルナシにとってきっと何ヶ月ぶりにみる太陽なんだろうなって思いました。
いつも薄暗い病室の窓から離れた すみの場所にいたから。
これからもっとどんどん外に出る機会、増えるんだろうな。日に日に元気になっていくトルナシをみるのが楽しみだな。
この時は、これが最後の太陽になっちゃうなんて考えもしませんでした。
2007年4月8日 原題「トルナシのこと」
2007年4月9日 原題「トルナシのこと、続きです」