第四話 HIVのほんとにこわい迷信
今は、マラウイという大きな湖がある国にきました。
ナイロビから、タンザニア、ザンビアときました。
ケニア人のとても優しいバックパッカーの子、シャフと一緒に旅をここまでしました。
彼は数週間のみの休暇の旅だったから昨日、お家があるモンバサ(ケニアの海沿いの都市)にもどりました。
一緒に旅をしながらケニアのこと、部族のこと、アフリカのこと、HIVのこと、みんなが考えていること、色々話をしました。
タンザニアの首都のダルエスサラームからザンビアまで2泊3日電車で移動したときにザンビアの看護婦さんの女の子とタンザニアの男の子とも一緒になって年もみんな同じぐらいで2泊3日ずっと電車の中で一緒にいたので4人でたくさん話をしました。
おんなじアフリカなのにここまで考えも違って、生活習慣も違ってショックなこともたくさん聞きました。
アフリカ諸国の人たちがつい、数年前までHIVは、白人だけがかかる病気だと思っていたこと。
今でもそう思って気にしてない人がいること。
でも日本も10年ぐらいまえ同性愛の人だけだって思っていたことを思い出しました。
たくさんのうわさもあります。子ども(まだ経験したことがない子)とすれば自分のHIVがなくなる。この結果、本当にたくさんの小児レイプが今でも起こっています。
エチオピアでも、数年前に小児レイプが多発して1歳ほどの赤ちゃんまでもがたくさん被害にあってそのせいでショック死してしまったり。
本当に酷すぎて、ケニア人のシャフも「そんなやつは速攻殺すべき」、って言っていました。
今一緒の宿にとまっている、イスラエル人で南アフリカ育ちの男の子の話でも、つい2年前、南アの保健省の大臣や次期大統領候補の人が、
「HIVは行為の後に体をしっかり洗えば大丈夫」、って発表したり「にんにくはHIV消滅に役立つ」と発言したりしていたそうです。
東南アフリカ諸国でもっとも発展しているっていわれている南アフリカでこんな状態で…って思ってしまいました。
ザンビアの看護婦さんの女の子も、ザンビアでは平均寿命が、HIVの前は60歳ぐらいだったのに、今は35歳ぐらいっていわれているよって言っていました。
ザンビアで首都のルサカと滝のあるリビングスト-ンにしか滞在していなかったのでしっかりわかりませんでしたが、やっぱりザンビア都会~すごい~って思っていたから驚きました。
どこの国も、エチオピアまで貧しくないにしても村や部族の人たちの生活はあまりにかけ離れていて驚くばかりです。
エチオピアにいた時も、メロンというこの施設で一番ぽっちゃりした17歳ぐらいのエチオピアの子にしては珍しく体格のいい子がいました。いつもたくさん話してたくさん笑って、歌って踊っている子で、
私が夜、やっと手当てが終わって他の患者さんにご飯を食べる手伝いや、体をきれいにしてあげているといつも
「チャラカーマッサージ、マッサージしてよぉ」って全裸で言ってきていました。
「しょうがないなーっ。毎日はだめだからね」て言って、時間の余裕があるときにマッサージしてあげていました。
損傷もなく、きれいな肌で、メロンはどうしてこの施設にいるのかな?って思ってカルテを探したのですが、HIVの疑いがあるとのこと。
HIVの血液検査をする日が決まって、メロンが、
「私もしネガティブだったらお家に帰れるのー!」
って大興奮していました。
ちょー元気だし、よく食べるし大丈夫なんじゃないかな?
って思っていました。
その検査の日がきて、朝早く、検査をうけにいきました。
その日はちょうどその病室だけで7人が検査にいきました。
7人のうちの6人、ポジティブ反応がでてしまってメロンも残念なことにポジティブでした。
メロンは、
「家に帰りたいよ!なんで私がポジティブなの?絶対違う。なんでーなんでー 絶対信じない!」
号泣していました。
他の子たちも、ただただ自分の体の中でおきてしまったことに涙をたくさん流していました。
私はなんて言ったらいいかわからず
いつも無責任に「大丈夫だよ。大丈夫…」って繰り返すばかりで。
メロンが違う病院に移ることが決まりました。
あんなに元気だったメロンがずっと元気がなく心配していたのですが、
病院にいく日、メロンが前の元気を取り戻していて、
「私まだ若いし大丈夫。がんばる。チャラカ、バイバイ」
って笑顔をみせてくれました。これからこの子はどんな人生を過ごしていくのか不安に思うと同時に、私にできることは、ただ心配することだけで…。
これからもどうか彼女の明るさがなくなっちゃいませんようにって思っています。
2007年4月26日 原題「マラウイのこと」
2007年4月26日 原題「HIVの血液検査のこと」