第十一話 ナイロビでプラ子は考えた☆アフリカンカルチャー

気分を変えてケニアのことです。

 

エチオピアと比べると格段の違いです。

電気は止まらないし、水道ひねれば水でるし。

トイレは残酷じゃないし、洗面器でもないし、しっかりしたトイレだし。

 

エチオピアで違う病院にむかうため、道歩いてもチャイナ!ファレンジ!ユーユー!マネー!って呼ばれまくりでした。

いつから自分の名前が上のようになったのかな?って思うぐらい。

 

ユーユーをハローと勘違いしている人も多いらしいけど…。

もうチャイナチャイナって言われて疲れるなーってぼそっとイングランド出身の女の子に愚痴をこぼしていたら、私もたまにチャイナ!って言われるよーってその子が…。

青い目、ブロンドなのに…。

 

ナイロビのバス(マタツゥではないカラフルなやつ)乗ったら、がんがんRB、レゲエ、ラップ、ウーハー付き。前にTVあってプロモ流れてる。(しかもけっこー最新!)音楽ガンガン過ぎてクラブにいるときみたいに隣の人なに言ってるか聞き取れない…。

バスの天井にはセクシーな写真。夜になるとバスの中の電気がブラックライト。しかも、青や緑以外にも、ピンク、赤クラブというかなんか怪しげで、でもなんか好きかも。

 

でもこれだから犯罪大都市につながるんじゃ…。

でもケニアの人明るい感じでだいぶ親切な雰囲気。しかも礼儀も正しいような感じ。

 

夜7時過ぎるとほとんどの店は鉄の扉をしめお店閉めています。

ネット屋さんも朝6時から!夜7時で終わりです。

 

ナイロビの宿で久々の日本人の人達、バックパッカーの子達にあって、日本っていいなって思っています。

 

 

ナイロビでは気づけば、毎日シャワーを浴びれる生活、(しかもお湯;;)なんでもある生活に居心地に良さを 覚えてしまって、もう2週間もナイロビにいます。

 

ナイロビのクリニック兼孤児院のような施設を 少しだけ見学させてもらいました。

ケニアではHIVの子はぐっと少ない気がしました。

奇病にかかっている子もその施設にはいなく、寝たきりの子もいなく驚いてしまいました。

 

エチオピアと比べてしまうのですが、ケニアは教育制度がここ数年でさらによくなり 8.4.4制度といわれる義務教育が受けれるようになったとのこと。

少し前まで、学校に少しだけ払わないといけない教科書代、ユニフォーム代が払えなくて いけなかった子も多かったようですが、今ではその支給もあり、学校にきたら家族の分もパンを 支給したりして 家で家族のお仕事のお手伝いしなければいけないから 学校にこれなかった子もこのパンの支給を持ってくるのがこの子にとって大切な仕事になって、しっかり通えている子がとても増えたとのこと。

(エチオピアでも月に15ブル程度(200円)ぐらいをテキスト代として今も払わなければならず、その15ブルが払えなかったり、歩いて毎日、往復3時間かけて家族のために水を汲みにいったりするのがその子にとって大切な家族の役割で学校に通えない子がたくさんいます。)

 

危険だといわれているスラム付近にあった施設ですが、スラムはバラックが立ち並んでいて、人の雰囲気もそこまで悪くなかったような感じがしました。

数日しか見ていないのではっきりとはいえませんが。

数年前にエチオピアからの飢餓難民の人々もたくさん住んでいるとのこと。

 

エチオピアにも住んでいて今はケニアで働いているお友達は、ケニアはこれからもっともっと急速によくなると思うよって言っていました。

エチオピアとは隣国ではあるけれど、全く違うよ。とも言っていました。

その違いは、ケニアはほぼナイロビしか見てない私は何もいえませんが、でもナイロビは都会です!

 

でも確かにエチオピアはあと10年で何が変わるかってゆうとどこの国でも同じ問題を抱えていますが、貧富の差が更に広がるだけのような気がします。

こんなことをいって失礼なのですが、山岳地帯や、奥地に住む人たちの生活はあと100年経ってもほぼ変わらない生活なんじゃないかな。と思えるほどにあんまりに何にもない生活な気がしていました。

 

宿で、出会った石井さんという優しい日本人の方が、PCを貸してくれてずうずうしくずっと使わせてもらい、たくさんエチオピアでのこと書きました。

本当何がいいたいのか、自分でもわからず、意味不明な文がたくさんだと思いますが、ただあったことを日記のように書いています。

 

時間があるとき目を通してくれたら嬉しいです。

 

2007年3月29日 原題「ナイロビのこと」