第六話 モザンビークでの出会い

3ヶ月以上更新できずにいました。本当にごめんなさい。

 

今はまたモザンビークにいます。

 

私のパソコンは早速調子が悪く接続ができずあと日本語読み書きができるネット屋さんがずっとずっと見つからず 3ヶ月も経ってしまいました。

 

やっとやっとやっと日本語が読み書きできるネット屋さんがある町に来れました。今はモザンビークの北東部、ジンバブエとの国境の近くの町にいます。

 

 

しばらくモザンビークの東海岸沿いの町の前にも書いた施設に戻っていました。この施設はたくさん子どもたちがいて、病気の子もHIVの子も多く、深刻な問題をかかえていますが無邪気な笑顔が本当にかわいくて。

 

本当はもっと長く働く予定だったのですが、この施設ではボランティアは寝泊りできないので、近くの安宿から一人で通っていて、施設へ行く途中の道で、1週間に2回も日中襲われて。(結局痴漢だけですみましたが)

泊まっていた安宿にも、夜中蚊と戦いながら寝てたら、叫び声が聞こえてとなりの部屋に泥棒が入っていたこともあったり。(犯人はありがちな従業員の男の子たちだったみたいでしたが。)

 

ビザの延長も言葉がうまく通じず、結局またがんばって移動してマラウイに戻ってビザ申請してまたモザンビークに戻ってきました。

 

モザンビークの北部の小さな町で知り合ったマラウイの男の子。

 

一人で現地の人たちを雇いながら村の子達を救うための活動をしていて、オフィスはとたん屋根の6畳ぐらいの小さなものだったけど、彼は大学を南アで2つ卒業していて、たぶんエリートに入る人なんだと思う。

 

それでもこの小さな町で、貧しい子達のために自分も最低限の生活をして仕事をしている彼に、話をきかせてもらいながら、すごいなって思いました。

 

アフリカに1年以上いるけど、こんな風にアフリカ出身の子がアフリカの子達のためにここまで 一人で活動をしている人を見たことがなかったから。

 

私が今まで見てきたアフリカのエリートや裕福なうちの子は、上を上を、どんどん目指すし、やっぱりどこでも良くも悪くも同じかもしれませんが、お金を手にしたらもっとお金を手にしたくなる人が多い。そんな中で、こんな風に自国や隣国の悲しい問題に向き合えてる彼。

 

彼は自分の家族はマラウイにいて1年に会いに帰れるのは数回のようでそれでもここで頑張れる理由はなんだろう。きっかけはなんだったんだろうと思って聞いてみました。

 

彼もマラウイの南西部の小さな村の生まれで、小さい頃、病気で痛くて苦しくて泣き叫んでも誰も耳を貸してくれなくていつも差し伸べてもらえる手がなくて、

 

「そのことをずっと忘れられずにいて、今こうして働いているよ。やっぱり子どもは一人で大きくなれないからね。」って暑い中、お豆のお昼ごはん準備してくれながら教えてくれました。

 

人に2つの手があるのは、ひとつは自分を守るため、もうひとつは、人を助けるためって張り紙で見たの思い出しました。

 

私はただふらふらして、もうずっと日本のかたにもバックパッカーの子たちにも会ってなくて、モザンビークは英語もほぼ通じないので、トラブル続きで心細くて気弱になったりもしていましたが、しっかりしなきゃいけないなって思いました。

 

いまは、モザンビークにあるインドの会社のお手伝いのためにゲストハウスに滞在させてもらっています。久々に水道がある環境で、トイレも地面に穴じゃないのでだいぶ贅沢な気分です。

 

(10月の)モザンビークは南半球になるのでずっと寒かったのですが、だんだん暑くなってきて今いる場所は、日中40度以上です。ハエも蚊もますますたくさんです。

 

2007年10月18日 原題「モザンビーク」