第四話 口が壊れた女性

私の胸の上の部分に、生まれたころからなのか、小さいころからなのかやけどのあとのようなものがあります。

 

日本にいた頃真剣にレザーで消そうか、刺青彫ろうか考えていました。

 

今思うとただのあざのようなちっぽけなことなのに、小さい頃から誰かにいわれた一言で 傷ついたりしていたので患者さんの何を見ても驚いた顔はしないようにと決めていました。

 

私はこの施設にきて、たくさん今までみたことのないような症状を持った患者さんをたくさんみました。

 

どんな体の奇形や、腫瘍、何をみても驚いた顔も手当ての際も困った顔も絶対見せないようにしようとなんだか自分なりに 思っていました。

 

手当てしてくれる人が困ったり戸惑っていたら手当てされているほうはもっと不安になるだろうなって思いました。

 

それと、言葉が十分でない分、表情はとっても大切だとわかっていました。

 

ワーカーの子が、

「チャラカー、新しい患者さんが来たからきて」

いつもの感じで、上の階から呼びにきました。

その子と一緒に向かう途中、「どんな症状のかたかな?」って尋ねると、

「うんとね、顔見せてくれないの。外からさっき来たばかりだから体洗って服着替えるの手伝ったときも、目から下の顔の部分、布でぐるぐる巻きで見せてくれないの。でも体何にもなかったよ。どこに手当ているのかなぁ」

 

そっかーと思って、その女性のベッドのところにいくと、毛布を深くかぶったままで横になっていて、もぞもぞ動いているのがわかったので、

 

「デナニシ?シュミシュマノ? アイズシシアンチアンママアンレン?」

(こんにちは。お名前何ですか?痛いとこあるのかな?大丈夫だからね。)

って、聞いてみると、答えてくれて、

 

「ちょっとみせてね」って毛布をめくると、やっぱり目だけの顔で、目の下は布をまいています。

 

その布から血がしたたっているのがわかりました。

「少しだけ見せてね」って言って布をゆっくりとってみると、口が、こういう表現が正しいのかわかりませんが、口が壊れてしまっていました。

 

口が大きく崩れていて、口からのどの途中までが口になっていて、あごはないに等しく、歯はすべて前のほうにでてきていて、かろうじてぶらさがっているだけの状態で。肉の塊が口の中にたくさん膨れ上がってできています。たくさん血と膿がでてしまっていました。唾も自分では飲み込むことが出来ず、よだれもたくさん垂れていました。

 

「大丈夫。大丈夫。今からきれいにしてお薬つけるからね」

 

口にでてきてしまっているかたは少なかったですが、ひと目で末期がんの症状だってわかりました。

 

2年前からこの症状が少しずつ少しずつ、進んでいったと教えてくれました。

人目をずっとさけて今まで生活してこられたのかな。辛かっただろうなって思いました。

私はもう、このときにはドクターが診てくれないのは、わかっていました。

 

でも少しでもいいから、ドクターに診てもらえるように、お願いしにいきました。

ドクターに少しでも診察してもらうことで患者さんたちも少し安心がもらえるって思っていました。

 

ドクターは、チラッとみて、「ひどいな」とだけ言いました。

「消毒とペインキラーをあげるように」とだけ言って行ってしまいました。

 

私は少しでも消毒液をつけたガーゼで口の中を触ると痛がる彼女にどうすればいいのかしばらく考えて、細い器具をつかって、毎食後、食べかすが残らないようにきれいにしてあげて針をとった注射器に消毒液、薬品を注入して、部分部分にあたらないようにするようにしました。

 

口からのどにかけて以外は、動かせる体を持っていたのですが、人目に触れることを極端に嫌がって、1日中ずっと毛布をかぶってトイレのときだけ、布を顔にまいたまま、用を足しに行っていました。

 

何かいい案はないかなって考えて、私たちが使っているマスクにガーゼをプラスターで何枚かくっつけて。そしたらすごく気にいってくれたようでした。

 

ごはんのときも、一生懸命口の奥の方に運ぼうとするのですが、食べれる量は4分の1ぐらいで残りは口の外へこぼれ落ちてしまっていました。飲み物もそうだったので、ストローを探して使ってみてもらったのですが、吸引することができずだめでした。

 

でも食べ物、飲み物を飲むとき、下に洗面器をおいて、ベッドが汚れないようにして、きれい好きなママァでした。

 

途中から一番すみのベッドにかえてもらったので大丈夫だったのですが、それまで私が薬をつけている間も、大きな布を二人でかぶり、その中で懐中電灯をつかって手当てしてました。

 

何度か、患者さんやワーカーの子に顔をみられて、みんなが「ひぃっ」って叫んでしまったり、 驚いてしまって 持っているものを落としてしまったり。

 

あんまりにみんなの表情がかわるのが、ママァにとって、とてもつらいことだったと思います。

 

 

一度ママァが私に何かはなしかけていて、でも私には理解ができなくて、現地の子でメディカルトレーナーの子に通訳をお願いしようと思って違う棟から呼んできました。

でも、彼はすぐ行ってしまいました。

 

「待って」って言っても行ってしまいました。

 

どうしたのかな?って思って他の英語の少しわかるワーカーの子にお願いしてそのときは大丈夫だったのですが、それからまたそのトレーナーの子にあったときに彼が、

 

「あの日ごめんね。すっごく怖かった。あの場にいられなかった」って言いました。

 

これから医療に携わっていく彼に色んな感情が混ざってなんて言ったらいいかわからなくて

 

「正直に話してくれてありがとう」とだけ言いました。

 

一人だけ患者さんの中でも ママァを気にしてくれる女の子がいました。

ママァの話す言葉は、口が十分に動かせないため、まだまだぜんぜん十分ではない私のアマリック語の聞き取り能力では、理解できないことが多く、そんな時いつも助けてくれるユリガラムという18歳ぐらいの女の子でした。

 

ユリガラムは、食事をママァに持ってきてあげたり、新しい布を渡してあげたり、話かけてあげたり。

 

ユリガラムはママァの布の下の顔を見たことが ありませんでした。

 

あるとき、布をはずした状態のママァをユリガラムが 初めて見てしまいました。

 

ユリガラムは表情を変えずに、ただ部屋を出ていって、それから暗い廊下で「ママァ、かわいそう…」って言って涙を流していました。

 

彼女もママァの状態がひどいというのを知っていて、みんなのリアクションも見ていて、でも彼女は必死に自分の表情を変えずにいてくれたのがわかりました。

 

 

 

ママァはますますまわりを気にするようになったのと同時に痛みも増して、少しずつ物がうまく食べれなくなりました。

 

今まで食べれていた、みんなと同じ食事をうけつけなくなりました。

何が食べたいとも言わなくて、手当ても1日に何回も何回もしつこく聞いてやっとさせてもらえる感じでした。

 

「食べたいもの何かある?」

って聞いて言われた物を用意するようにしていました。

ヨーグルトや、コーヒーや、タッラ(エチオピアのお酒)。

 

「タッラを飲むと眠れるから」

って言っていました。

 

でもあんまりに物を食べないから、グルコース(点滴)をしようとしても受け付けてくれません。痛みがひどいようだったから注射のペインキラーしようとしても受け付けてくれません。

 

「ママァー頑張って食べなきゃだめだよ。私お手伝いするよ。

なんでもいいから食べて栄養つけないと」

 

あんまりに物を食べずにいて体がどんどん細く細く痩せこけていくのが1日ごとにわかるようでした。

 

毎日毎日、何回も何回もしつこくほしい物ききました。

 

 

「ママァ、グルコースしないともうだめだよ。お願いだから」

 

って言うと私の手をとって、ママァのやせこけたお腹をさわらせて、

 

「こんなにがりがりの私にどうして針なんて刺せるの?」

 

「でもママァ、お願い、何か食べなきゃだめだよ。お願いだから」

 

「なにがいい?ケーキ?シュロ?チョコラータ?なんでも買ってくるからお願いだから言って」

 

私が泣きながらいうと、毛布の中から、

「チャラカ、お願い。殺して」

 

って返事が返ってきました。

 

あんまりに弱って衰弱していくママァが悲しくて悲しくてたまりませんでした。

 

ママァが自分で体を動かせなくなりました。

 

もう2週間近く、しっかりした物を食べていず、水を1日何回か飲む程度でどんどん弱っていくのが苦しいぐらいわかりました。

 

いつもお手洗いには頑張って行っていたママァがお手洗いも行かなくなって、ベッドの下においてある洗面器をとって毛布の中で用を足すようになりました。

 

毛布の中に話しかけても返事がありませんでした。

 

「ママァ?大丈夫?」

 

ってゆっくり毛布をめくると口元をもう気にせずそのままの格好で苦しみきった目をして、宙を見てました。

 

ゆっくり私の目を見て何か言おうとしているのだけどもう言葉になっていませんでした。

 

汚物のにおいがしたのでお湯を汲んできて、体をきれいにしてあげました。

 

あんまりに、体ががりがりでがりがりですべての骨が浮き上がっていて。

 

肛門でつかえてしまっていた汚物、自分の手で抜き取ろうとしたのか、手も汚物だらけで。

 

きれい好きなママァが辛かっただろうなって思って。

 

丁寧に体ふいてあげて、爪の中につまった汚物もとって。ベッドもきれいにして。血と、膿とよだれでいっぱいになった首のまわりもきれいにして。きれいな布、マスクを用意して。

 

ママァはもう何も言おうとしませんでした。

 

ただただ、私が声を立てずに泣くのを見ていました。

 

同室の患者さんたちもみんな心配そうに見ていました。

 

次の日の朝、ユリガラムが私を待っていてくれて、泣きながら私にハグしてくれました。

 

「ママァ亡くなったの?」

って聞くと、

 

「うん。でも今はきっと大丈夫」

って、泣き声で言いました。

 

 

いつも、私がママァのそばを離れて別の病室に行こうとすると、毛布の中から手を一生懸命伸ばして、私の白衣を引っ張って

 

「どこにも行かないで。この病室の中にいて。チャラカの声が聞こえるだけで安心するから」

 

まだそこまで具合が悪くなかったころによく言ってくれたあったかい言葉が今でも忘れられないです。

 

 2007年4月12日 原題「末期がんのママ」