第十三話 手をつなぐだけでも嬉しい…

エチオピアで失明している人をたくさんみかけました。施設の中だけではなく、外を歩いていても失明した物乞いのかたも子供たちもたくさんいます。失明した家族をつれて、物乞いをしている小さな4、5歳ぐらいの子供たちよくみかけました。

今いるモザンビークでも、ちらほらみかけます。お父さんもお母さんもお姉さんらしき子も失明してしまっていてその3人を小さな男の子が引き連れてゆっくり一列に並んで歩いていました。

 

目の見えなくなってしまう原因は、たくさんあると思いますが、細菌感染や栄養失調からくる場合がアフリカではとても多いと思います。ほかの国にいたら防げるはずのことなのに…。

 

 

 

エチオピアの施設にいたときに新しい患者さんがきました。ユリガートってゆって16歳だといいました。その子は、施設にきたばかりのとき二日間ずっとベッドに横になっていて眠っちゃっているのかな手当てが必要かなって思って話しかけてみると、両目の黒目の部分が、白くなって飛び出しており、「あっ両目ともみえてないんだなっ」て思いました。

 

顔を見てみると、ほっぺから首のまわり全体にかけてただれたようになっていて血と膿と皮もめくれてしまっています。皮膚結核の症状がでていました。

 

その子は、たどたどしい言葉を話す私を最初はすごく警戒して困惑した感じでした。

 

毎日、手当てをしていくうちに少しずつ話すようになってきて日本という国を知らないユリガートは、見知らぬ国からきた私の髪の毛、顔を触るのがすきでいつも触っていました。

 

こっちの子はエチオピアのこともあんまり知りません。村出身の子たちは、自分の村のこと以外のことはあんまり知る機会が少ない子が多いです。もちろん外国のことも地球ってこともまったく知りません。

 

目のみえないユリガートは、私のこと、ただ“言葉が同じでない人”としか思ってなかったと思います。

 

手当ての後に、耳そうじしてあげていたらユリガートの目から涙が出ているのがわかりました。

 

「ユリガート、どうしたの?どこか痛いの?」

って聞くと、

 

「私、病気にもなっちゃった。私何にも見えないのに。」って言いました。

 

私は、彼女の目がよくなることは難しいことドクターから聞いていました。

 

ただハグをしながら「大丈夫だよ」って言うことしかできない私のそばで、それを聞いていた、違う施設から移ってきたばかりの10代後半ぐらいの子が、

 

「あのね、違う施設にもこの施設にももっともっとすごく体、めちゃくちゃな人や、たくさんたくさん毎日痛い思いしている人がいっぱいいるんだよ。まだまだユリガートは健康なほうだよ。私も足ないよ。でも悲しくないよ」

 

って、太ももまでしかない自分の足をじっとみて言いました。

 

それを聞いていたユリガートはそれから少し変わりました。

 

たくさん笑うようになったし、顔も自分で洗えるようになってお手洗いも自分ひとりで行く努力をはじめました。

 

なんだか少し大人になったようなユリガートに感動しました。

 

ユリガートは前まで、手当てのとき以外ほかの子と二人で使っているベッドに交互の向きに寝て、その上で体を小さくしてじっとしている毎日でした。

 

でも、施設のそばの教会に行くことは患者さんも許されていたので、夜6時半から始まるアドレーション(礼拝のようなもの?)には患者さんたちの手当てが終わっていて、その時間抜け出せれたらときどき連れて行ってあげていました。

 

そのアドレーションではクリスチャンのかたたちが歌を歌ってその歌を聴くのがユリガートは大好きなようでした。夕方になるとベッドのすみに座って黒いプラスチックの靴をしっかり履いて私が迎えにくるのをうれしそうに待っていてくれていました。

ときどき、手当ての一区切りがつかなくて、教会に着くともう終わる5分前だったりして

「あー遅くなっちゃって本当にごめんねっ」って謝ると

「チャラカと教会までの道、手をつないであるけるだけで嬉しいの。だから気にしないでね。 今日はいつもより寒いねー」

って、くっついてきて。

 

私がほかの患者さんと病院に朝からいっていて、施設に戻ってくるのが遅くなると、ユリガートと同じ病室の子達が

「チャラカー、ユリガートがチャラカが今日はこないって朝からずっと泣いていてたいへんだよー」って教えてくれて。

 

いつも彼女にそっと近づいて、わざと声、男声にして「ユリガート」っていかつく呼ぶと 嬉しそうに

「チャラカーチャラカー」って私の手握って。

 

他の患者さんともたくさん仲良くなって、他の患者さんもユリガートの手をひいてゆっくり日なたぼっこにつれていってくれるようになって。

 

施設のみんな、びっくりするぐらい優しくて、一人2粒づつ支給されたみんなにとって貴重な貴重なキャンディや小さなバナナ一本だけ支給されたとき、みんな大好きなのに具合の悪そうな子にあげたり、私にまでくれようとして。

 

大勢いる寝たきりの患者さん同士、助けが必要だけど声がでない子や、吐いてしまっている子、仰向けのままだと吐しゃ物で窒息死してしまうから、患者さんみんなで私やワーカーの子に

「あの子今吐いちゃってるよーいってあげてー」

って教えてくれたりいつもしていて。

 

私はいつもどうしてみんなこんなに苦しくてどうしようもないのに、この優しさはどこからくるのか、家族というものを知らない子も多い中、誰が教えてくれたのか、不思議にも思い、とても嬉しく思っていました。

 

2007年10月26日 原題「失明している子たち」