第十二話 日本に生まれて幸せですか?
エチオピアの施設にマッサラートっていってまだ若い10代半ばのお母さんがいました。
マッサラートには、小さな赤ちゃんがいました。
本当にかわいい赤ちゃんで、私が抱っこして
「あー、かわいいかわいい。なんでこんなにかわいいんだろーっ」て
言っていると、
「チャラカ、お願い。その子、チャラカの国に一緒に連れていって。会えなくなっちゃうのいやだけど、きっとチャラカの国の人はみんないいひとだから、大丈夫…」
大きな透き通った目で、まっすぐ私をみて、言いました。
初めてされたこの質問に私は、泣きそうになりました。
「ママと離れ離れになるのよくないよ。この子にはマッサラートずっと必要だよ」
って言いました。
「わかった。迷惑にならないように、チャラカのおうちで一生懸命わたし、働くから。そうじだって洗濯だって、チャラカのすきなインジェラ毎日上手に作るから」
何て答えていいかわかりませんでした。
一緒にベッドに座っていたワーカーの子が私の様子を見て、
「マッサラートだめだよー。チャラカ、日本に帰ったら、お仕事いっぱいで忙しいんだよ。それに日本はしゃべる言葉が違うんだよー」
って慌てたように言って。
あとからワーカーの子が、
「チャラカ、マッサラートね、ディスチャージ(施設を出る)するように管理の人にさっき、言われたばかりだったんだよ」
って教えてくれました。
施設をでたら、どうやって食べていけばいいのか、他に頼る人がいないマッサラートはきっと悩んでいたんだと思います。
私は、結局は、何もしてあげられない自分の立場がよくわかって、苦しくなりました。
でも、次の日、マッサラートが笑顔で、
「チャラカー、私、ここで寝泊りして働けることになったの」
って言ってきました。
行き場のないマッサラートを心配してワーカーの子が管理のかたにお願いしてくれたようでした。
私はもう、ほっとしてほっとして。
この施設では、ワーカーの子が、病気に感染してしまったり、病気だったことがわかったりして、次の日には、患者さんになってしまったりしていましたが、患者さんの子が、ワーカーになったりもしていることがあるって知ってすごくすごくほっとしました。
でも結局は、自分は何もできなんだなってこと。思い知らされました。
働く場所がない。
エチオピアでは、会社も企業もとても少なく、国自体の収入も本当にわずかで、日本にいたら、どんな風にこの子たちは過ごせていたんだろう。
どんな風な職業につきたいって思うんだろう。そのためにしっかり学校に通って。恋愛もたくさんして。映画にいったり、クラブにいったり。 喫茶店に行ったり。電車に乗ったり。お買い物したり。テレビみたり。
ただ生まれた国がちがったっていうこのことだけで、薬も手に入らず苦しむ子たち、ボロボロの体でよたよたして、物乞いしている子たち。
この子たちの未来には、何が待っていて、どこにつながっていて、逃げられない現実を一生懸命笑顔で受け止めているこの子たちが苦しくてたまりませんでした。
私の無力さにもいつも愕然としていました。
2007年6月25日 原題「生まれた国の違い」