第三話 二十歳のとき、なに考えてた?
上の階の病室に、ブルトカンとういう20歳の女の子がいました。(エチオピアでも人気の名前があって、ブルトカンという名前も多いです。)
窓のすぐ下のベッドでいつ見てもぐったりしていました。
体は本当にやせ細って、とても小さく、頭髪は抜け落ちて、肌はすべて干からびた状態のようになっていて、目はうつろで。つばを自分で飲み込むのも辛そうでした。
あんまりにひどい状態で。
こういう子の場合、本人もだいたいの自分の年齢わかっていますが、かろうじて話してくれる小さな声のトーンで、この子がまだ若いんだってことが私もわかります。
とても小さなかわいい声で、
「チャラカー、お砂糖たっぷりのあったかいチャイが欲しいの」
ってがんばって声を出して教えてくれる子でした。
常にひどい下痢と、嘔吐をしていて、自分で立ち上がる力がなく、カルテには、HIVポジティブの可能性があるため、血液検査をさせるようにと指示が書いてありました。
いつもぐじゃぐじゃに下痢をしていて「布換えて」って自分からは言わず、私が来るのをずっと待ってくれていました。
私が、
「排泄したあと、すぐ呼んでくれれば布すぐ換えるからね。気にせずいつでも呼んでね」
っていつも伝えていたのですが、
「チャラカ たくさんお仕事あるもん。私大丈夫だよ」
って答えがいつも返ってきて本当に優しい子で。
私だったらすぐ換えて欲しくて我慢できずにいると思うのに…。
ドクターを探して、ブルトカンがまだ血液検査を受けにいっていないことを伝えました。
ドクターが、「彼女はもうすごく弱っていて、みんなで持ち上げて手伝っても、もう車いすに乗っているだけの体力すらないんだよ。どうしようもないよ。」と言いました。
こういう子を見るたびに、神様はどうして…。っていつも思ってしまいます。
ブルトカンは、ふとした拍子に私のおへそにあいているピアス、見つけて。
109のショップで店員をしていたときに強制的に開けさせられたヘソピアス、それを触るのが好きな子でした。
この子と同じ20歳の頃、私は何をしていたかなって思いました。
“東京の短大”って響きにあこがれて、“卒業さえできればいいやー”って感じで短大にいって、また響きにあこがれて渋谷の109の人気のあったショップに就職して、週3回日サロ通いが社訓で、いかに黒くなるか、次の髪のエクステはどんなのにするかとか彼氏のこととか、遊びにいくことばっかり考えていて自分の日常のことだけで。
死と向き合ったり、貧しい国の人たちのこと真剣に考えることもそこまで多くなくて。
どうして神様はここまで違う人生を…って思ってしまいます。
この子が何をしたってゆうんだろう…。
ブルトカンは、いつも私が医療用の手袋なしでブルトカンに触ろうとするとどんなに苦しんで痛がっていても
「チャラカ、手袋、手袋して」
って私への感染をすごく気にかけてくれて。
トルナシもそうでした。
トルナシも口のまわりの損傷もひどかったため言葉を出すときに痛みがあったのに、
でもいつも「チャラカ 手袋して。 チャラカにうつっちゃう」って言って。
手袋がなくなってしまって遠くの病棟にあるときでも私が手袋、持ってくるの待っていてくれていました。
他の患者さんも自分の損傷部分からでている臭いを気にして、
「チャラカマスクして、私、臭くてごめんね…」って。
そんな時いつも、
「臭くないよー。私の頭のが臭いんだよーこんなに長いくせにしばらく洗ってないもん」
って冗談ぽく言ったりしてました。
ブルトカンは、たくさん痛みに耐えてがんばっていましたが、数日後、静かに息をひきとりました。
亡くなった後のことは、やっぱりわかりませんが、天国があったとしても、来世があったとしてもいつもいつも思うことですが、
たくさんたくさん苦しんで、悲しい思いもたくさんした分、どうかこの子たちがたくさん笑顔で幸せでありますようにって思うばかりです。
2007年4月26日 原題「老人のような女の子」