第二話 もう一度会いたい~トルナシの最後の日~

少しずつ少しずつ、私も施設に慣れるにしたがってする仕事が増えてきて、毎日お昼ごはんもゆっくり食べれない日が多くなりました。

 

あんまり働いてばっかりいる私をみて他のボランティアの子は、絶対休んだほうがいいよ。体まいっちゃうよ。たまには外のレストランにご飯とか飲みにいこうよ。っていつも誘ってくれていました。

 

 

トルナシにも前ほどゆっくり時間をかけてあげることができなくなってそれをみせないようにしていたつもりでも、彼女にはそれがわかっていたんだろうなって、今振り返ると、そう思います。

 

 

ある日、トルナシの手当ての仕方を変えることになりました。でもトルナシはとてもそれを嫌がって。でもドクターからの指示だったから

 

「トルナシ我慢して。ドクターがいったから」

 

って無理にいって、ガーゼや新しい薬品をとりに違う棟まで行った時、男性の棟で働いている他のボランティアの子に呼び止められて手当てして欲しいとのこと。

 

トルナシ待っていたから、他の人にお願いしてもらおうと思ったのですが、イタリア出身の彼は英語がわからず私もイタリア語はさっぱりわからずイタリア語で一生懸命何かゆってくれてとりあえず一緒に男性の棟までいって、患者さんの手当てを急いでしていました。

そしたら、フィジオテラピーの子が

 

「チャラカー、チャラカの妹が大泣きしてチャラカを呼んでいるよ。すぐ戻ってあげて」

 

って伝えにきて。

 

男性患者さんが他にも数人待っているとのこと。

たまたま男性の棟担当していた子が今日はいないとのこと。

 

頭から湯気がでそうなほど忙しい日が続いていたので、自分でもいっぱいいっぱいなのがわかるほどで、でもそれを患者さんに見せちゃいけないって思っていたのですが、だいぶあたふたしてしまっていたと思います。

 

急いでトルナシのところに戻ると、

 

「チャラカ、手当てのしかた戻してくれなかったら、明日、私死んじゃうから。絶対死んじゃう。戻してー戻してよー。絶対戻してー」

 

 

って動かすと痛みが走る体を一生懸命じたばたさせて、トルナシはいいました。

 

私はもう一度、ドクターにそれを伝えにドクターを探し出してきくとやっぱり新しい治療法をやってみたほうがいいとのこと。

 

また病室に戻って、

「トルナシ、ごめんね。しばらく最初のうちは痛いけど後からぐっと良くなるから。お願い。わかって」

っていって、ペインキラー飲ませました。

 

でもそれも吐いてしまって。

 

ワーカーの子にそばにできるだけいてくれるかなってお願いして、まだ別のたくさんの患者さんの手当てが終わっていなくて、すぐ戻るねって、言って違う階にいきました。

 

夜になって戻ってみるとトルナシが眠ってしまっていて。誰にも食べさせてもらえなかったのか、トルナシが後からってゆったのか晩ごはんのプレートがそのまま枕元においてありました。

 

お昼もまともに食べてなかったから、お腹すいちゃって夜中に目覚めちゃわないかな。

あと、服をきていなかったから寒いかなって思ったのですが、起こして痛がるのも気の毒だったし、痛がるトルナシの姿を自分もみたくなくて、しっかり毛布をかけ直して、おやすみねって言ってその場を離れました。

 

その日の夜、いつもの夜より寒さが強くて、トルナシ大丈夫かなって急に不安になりました。

 

朝いつもより早く病室にトルナシに会いにいくと様子が明らかにおかしくて、ワーカーの子に

 

「トルナシ今日様子おかしいよ。朝ごはん食べた?」

って、きくと、

 

「水がほしいってゆってたくさんお水飲んでいたよ」

って、いいました。

 

あって思いました。最期の日、お水、みんなたくさん欲しがります。

 

トルナシって話かけても目の瞳孔が開いてしまったままのかんじで、瞬きしません。

 

ここの病棟を管理している人初老の女性を呼びました。

 

そしたら、その女性が

「彼女、もう疲れているわね」

 

と言って、そばにいたワーカーの子たちを集めてみんなでベッドを囲んで、祈りを捧げはじめました。

 

えっちょっと待って。なんでお祈りするの。トルナシまだ逝かないよ。

 

って頭の中が、その状況についていけなくて、ただただトルナシートルナシーって話しかけていました。

お祈りが終わってみんないってしまって、そしたらトルナシがニィって笑いました。

 

「えっ トルナシ今笑ったよー」って

 

いつもトルナシの面倒をよく見ていてくれたワーカーの子に言いました。

その子もベッドのそばに来て二人で

 

「トルナシー、トルナシーっ」て呼ぶと

またニィって笑ってくれました。

 

「ほら。笑ってくれたよ。今まで一度も笑ったことなかったのに笑ってくれたよ。トルナシ大丈夫だよ。お祈りなんて必要なかったよ」って私が言うと、

 

トルナシの呼吸が少しずつ亡くなる前の苦しそうな呼吸に変わりはじめて、大きく深い息をゆっくりゆっくり3回して私の顔をみたまま、もう呼吸してくれませんでした。

 

あぁ…っ。私やっちゃった。またやっちゃった。大切な人亡くしちゃった。

って思いました。

 

 

体の震えも、鼻水も、涙も、声も止まりませんでした。

 

ただただ「トルナシトルナシ」って諦めきれなくて何回もずっと呼んで、でもトルナシ、じっと私の顔をみたまま、呼吸はしてくれなくて。

 

最初にあったときの状態から、皮膚の状態はほんの少しずつしか変わらなくても、HIVポジティブでも、どんどん元気そうになっていくのがよくわかったから、これからますますいろんなこと話したり、たくさん外にでたりできるんだろうなってすごく嬉しく思っていました。

 

少し前から、明日は今日よりもっとたくさん一緒にいるからね。ってずっと思ってたくせになんだかんだそれが出来ず、毎日ずるずる過ぎていってしまっていました。

 

お祈りを捧げた管理の方がまた来てくれて、

「彼女、逝ったのね。きっとあなたが来るの最後に、待ってから逝ったのね。あなたいつも一緒にいたものね」って。

 

あんまりに私が取り乱して、トルナシトルナシってずっと呼んでいるから、ワーカーの子がハグをしてくれながら

 

「チャラカ大丈夫。大丈夫だから」って言いました。

 

トルナシ昨日、手当ての仕方戻してくれなかったから私明日死んじゃうってゆって本当に死んじゃった。私のせいだって思いました。

 

もしかしたら裸で眠って寒くてそれが原因だったのかもしれないって思いました。

 

それとトルナシをあの時起こさなかったのは、トルナシが痛がるのいやだったのもありますが、きっと私、自分が疲れてて、ずるしたんだって本当はわかってました。

明日でいいかな、って後回しにしてしまうことが、その後どういう結果に繋がるか私はもう十分わかっていたのに。

 

私が死なせてしまったんだって今でも思っています。

 

ワーカーの子が、

「トルナシ最後に笑ってくれたよ。笑顔みせてくれたよ。チャラカ、覚えてる?チャラカいつだったか、前に、トルナシの笑顔みたいな。いつか見せてねってトルナシにいったの。

だからトルナシ頑張ってみせてくれたんだよ」

 

他のワーカーの子が、

 

「私がトルナシ最初にみたとき、この子すぐ死んぢゃうなって思ったけどたくさん生きたよ。きっとチャラカがそばにいたからまだ逝きたくなかったんだろうね。がんばったね。トルナシ」って。

 

 

数日後、ドクターがきて

「あの子亡くなったんだね」

っていいました。

私が、「はい」とだけ答えると、

 

「彼女、嬉しかったと思うよ。君が来るまで、誰もそこまで彼女のこと気にとめてなかったから。最後に君に会えて、ケアしてもらって幸せだったと思うよ」って。

 

忙しく動き回るドクターとそこまで話したことが今までなかったので、こんな風にいってくれる人がいて、少しだけ救われたような気持ちがした反面、やっぱりトルナシを亡くしてしまったことの事実が受け止めきれなくて自分のせいだって思って、トルナシに申し訳なくて申し訳なくて、ずっとごめんね。

ごめんね。って思っています。

 

罪悪感でいっぱいで、でもどうしてももう1回、トルナシに会いたくて。

 

夢だったんじゃないかって、全部悪い夢で、あの病室の入ってすぐ左側の、あの明かりの少ししか当たらない壁のすぐ隣のベッドにいつものように、天井をじっと見て横になっているんじゃないかって。

 

今でも、毎日思い出す大切なお友達であり、妹であり、家族のように思っている一人です。

 

 

どうか天国でご家族とのんびりあえていますようにって思います。

 

2007年4月9日 原題「トルナシのこと、続きです」

2007年4月9日 原題「トルナシの最後の日のこと」