第二話 優しい嘘をつかれて
エチオピアの施設にはパラライズ(体の麻痺)をしてしまっている子がたくさんたくさんいます。
症状は、下半身のみ動かない子、自分で動かせる部分は目だけの子。ひとそれぞれです。
原因もみんなバラバラで、産まれる前のお母さんの健康状態だったりデリバリー(出産)の際のトラブルだったり。(ほとんど村の子はお家で産みます。)
病院で出産しないわけは、お金がないことももちろんですが、病院に行くまで山を越えたり、何十キロも荒れた砂埃の荒地を歩かないとたどりつけない場所に住んでいるからです。出産を病院でとゆう発想はみんなにはないと思います。
赤ちゃんも出てくるときに、たくさんの危険が伴います。
お母さんも出産で亡くなってしまうことが高い確率であります。
あと小さい頃から十分な栄養、清潔な環境にいなかったのも原因にあったり、HIVが引き金となっている子もかなり多いです。
バンチュという22歳だという女の子も数週間前突然、体が動かなくなり自分で動かせるのは、顔と右手の指3本でした。
カルテをみると、
ギランバレー症候群の疑い。と書かれていて
原因不明の疾患で筋力の突然低下、麻痺、知覚異常等の症状だが、半年後に麻痺が後遺症なく、無くなる可能性が高い。と専門書にはかかれていました。
いつも
「バンチュあと、半年の我慢だね。頑張ろうね」
なんて話していました。
バンチュの筋力の低下は著しく、自分で排泄するためのお尻の筋力もなかったため、いつも排泄物が肛門のところで止まってしまっているので、手で取り出してあげていました。
「チャラカー エネザレデナノアッサイエアンチキット」
(さやかー今日私元気だからさやかのお尻みせて。私がだしてあげる)
なんて真剣に聞いてくるような優しい子でした。
5日ほど髪を洗う十分な水がなかったから、私も頭を洗っていなくて、
「エネザグルバッタンコシャコシャアンレン」
(私髪汚いから見てくれる?)
って言って、バンチュは「了解」って言って、一生懸命動かせる右手の3本の指を使って私の頭にしらみがいないか丁寧に見てくれたりして。
そこまで濃くない顔立ちで少しだけ日本人よりの顔をしていておっとりした雰囲気で、その子と話していると穏やな気持ちをいつももらえました。
バンチュが病院で専門のドクターに診てもらえる機会ができて、搬送されていきました。
数日後、思ったより早くバンチュが病院から戻ってきて、もしかしたら…って思った悪い予感はあたって、血液検査の結果バンチュもHIVポジティブでした。
朝、いつものようにバンチュのいる病室に行くと今日なんか雰囲気おかしいかなって少し思ったけど、いつものようにみんなに挨拶してバンチュのベッドに行くと別の子が眠っていて
「あれ?バンチュは?」って聞くと
「バンチュ、病院に行ったよ」
って患者さんが。
「えっでも昨日の夜いたし、今日病院に行く車、あと1時間後に出るよ」
そしたら他の患者さんが、
「バンチュの家族が迎えにきて連れて帰っちゃった。だからもうバンチュここには戻ってこないんだよ」って。
「えっでもバンチュ家族いないって教えてくれたよー。どうしたのかなぁ」っていうと、
そこの病室のベッドに横になっていた患者さんみんなで
早口でコソコソ声で話はじめて、
「みんなどうしたの?なに言ってるのかわからないよ」
って聞くと一人の患者さんが、何か私に言おうとしてでも他の患者さんが「言っちゃだめ」みたく言っていて、
そしたらまた別の患者さんが、
「バンチュアラットサーツバフィッツモータ
イクルタエネチャラカバッタンノーコンジョ
ノーゴーバスウッシャータイクルタアスナロ」
(バンチュ4時間前に亡くなったの。さやか悲しむと思ってみんなで嘘つこうって決めたの。)
って私にわかるように言葉を選んでゆっくり教えてくれました。
あんまりに突然のことで、呆然としながら、
「バンチュ亡くなる前、たくさん苦しんでた?」
ってきくと
みんな
「そんなことないよ。今は天国でゆっくりしているよ。泣かないで、さやか。大丈夫だから」
って一斉に言ってくれて。
バンチュの突然の死を受け止めようと思うと同時にみんな自分がたくさん苦しんでいる中、
次、亡くなっていくのは自分なんじゃないかって不安でたまらない中、
こんな風に私のことを心配してくれて、想ってくれて。
このときから毎回、みんな誰かが亡くなるたび、一生懸命すぐわかる嘘をついてくれていました。
私は、みんなのお手伝いをしているつもりでも、たくさんいろんなあったかい感情をもらったり、人が生きていくうえで大切なものをいつも教えてもらっている気がしました。
みんなのことを、すごく尊敬して大切に思いました。
2007年4月8日 原題「人を思いやるということ。」