第八話 先進国の優越感って、ありますか?
エチオピアの施設で、現地のワーカーの子に日本の家族のことを聞かれて話をしながら薬品の整理していたら管理の初老の女性が、そばでそれを聞いていて、
「あなた、ご家族いるの?私あなた一人で生きていたからこうして働くんだと思ったわ。あなたは、いつも笑顔でいるか、誰かが亡くなって泣いているかどちらかね。あなたの国の人はみんなそうなの?」
「あなたしばらくここにいるけどご家族心配してないの日本はとても遠いでしょう」って。
これは、旅をしていてもよくされている質問です。私、もともと日本で8年も離れて家族と住んでいたけどやっぱり日本国内で離れて住んでいるのと海外とじゃ違うから、心配して当たり前かなって思いました。
今回、南アのジョハネスブルクで待ち合わせしていてパソコン持って来てくれたアメリカの70歳になるお友達、スティーブンは、エチオピアに私がいたときもわざわざフライト変更して会いに来てくれました。
彼はザンビアでプロジェクトがあって、私がエチオピアにいることを知ってザンビアに行く前にアメリカからエチオピアに2日間だけだったけどよってくれました。
旅をしていて、自分が違う国の友達のとこいったり、仲良くなった旅人と別の場所で待ち合わせしたりとかはあっても、友達が私を訪ねてわざわざきてくれるのははじめてだったからすごく嬉しくて、彼をアディスの空港まで迎えにいって、(嬉しすぎて油断して警戒度が下って、デジカメ盗まれちゃったけど…。)彼に私がボランティアしている施設を案内してまわっていたとき、その途中彼はずっと叫んでいました。
「長いこと僕は生きていて色々見てきたつもりだけどこんなに感動したこともう随分なかったよ」
「君のご家族はこのこと知っているの?患者さんがどんなに苦しんでいてもとびきりの笑顔で君にハグとキスをすること。君が汚物だらけの子を丁寧にきれいにしてあげてること手足がなかったり、ぶらさがっているだけの子達が、あごと肩をつかって地面をはって、 君に抱き上げてほしくてやってくること。君は写真かビデオをぜひ撮っておくるべきだよ」
その言葉で、数ヶ月前、お母さんからきた手紙を思い出しました。心配している文章と、あと、
「日本で普通に育ってきたことで優越感にひたっているのはないですか?そんな風に想っていたらエチオピアの子達に嫌われますよ」
忙しく毎日働く中、少し悲しかったのと、そうなのかなって思いました。あんまり忙しくて、どういう気持ちで自分がいまここにいるのかとか考える余裕なくて、毎日忙しくて、ネットやさんにいく時間もあんまりなくて、もともと電話代の値段気にしてほとんど日本に電話もしてなかったし、自分の両親が心配しているのは当然かなって思いました。
海外に行ったことも、飛行機に乗ったこともないお母さんだったし。
ボランティアについても色々な意見があると思います。
でも私は、自己満足でも、実は、ほんの少ししか役に立っていなくても、私がされる側の立場だったら、全然知らない人からでも、ほんの少しでも気にかけてもらえて、 おはよう。今日は調子どうですか?って笑顔で声を掛けてもらえるだけでも、それだけでも、やっぱり嬉しいんじゃないかなってこと、たった一言話しかけられるだけで、ほっとしたり、あったかくなったりする気持ちあるんじゃないかなってこと、エチオピアの施設で過ごして思いました。
つい最近も、父親から、
「アフリカにいつまでいるの。女一人でアフリカは、危険がいっぱいに見える。なるべく早くアフリカ大陸を離れて欲しい」
ってメールがきました。
短大卒業して、109のショップに就職してまだ準社員だったし、長時間労働でたちっぱなしで上下関係厳しくてだったけどお給料とってもちっぽけで(時給でたとえると800円以下だった気がする)でどうやって家賃払って、髪型のお金とか化粧品とかネイルとか やりくりしていこうか本当に貧乏だったけど、会社は、見た目に手を抜いたらくびで厳しかったし、肌黒くなくちゃだめで、日焼けサロン代も友達が日サロでバイト始めてただ焼きさせてもらえるまでかなり痛い出費で、実家いろいろお金のこととかたいへんなときだったし、それに親には短大でてから金銭面で頼るのは絶対いやでたぶんみんなもそうだと思うけど大根とかもやしゆでたり、卵掛けご飯とかマヨネーズご飯とかポテトチップスとかお菓子ばっか食べて食費削ってた。
今思うといい思い出ですが。
今回海外出てきたときも、何かあったときや、薬とかの荷物送ってもらうときのためにある程度まとまったお金通帳に入れて渡してきた。
自分で貯めたお金なくなったら帰ってくるだろうって思っているけどもう1年半近く帰ってないからたぶん心配絶頂なんだろうなって思った。
でもアフリカもう少し、国のこと、人たちの生活のこと、見てみたいなってちょうど決めたときにきたメールだったからちょっと今回もこたえた。
安全な町選んで移動しているから大丈夫ってメール父親に返したら、
「そうか。さやかが安全っていえばそれなら安心だ。実際現地に居るんだからね。今、世界中何処に居ても危険が溢れてる。世界中の宗教が人の命の大切さを説いているのに自国の利害で平気で殺しあってる。いつまでたっても世界の何処かで戦争してる。お父さんは超強力な宇宙人が世界を支配してくれた方がいいと思ってる。パワーがあって世界のすべてを支配しても、でも全ての命を大切にする神様が現れて欲しい。この無駄な戦争によって亡くなった人達…可哀想だよね。それぞれの大事な時間は戻らない。さやかも自分の信念にそって生きてくれ 安全で有意義な毎日を送れる事を祈ってる。頑張れ」
ってメールきた。涙でた。
こんな風にメールをくれる家族がいるだけで私は本当に恐ろしいぐらい幸せだって思った。
ちょうど、このメール読んだとき、モザンビークの捨てられてしまった子達やHIVや病気の子たちの施設で少しだけお手伝いしていて、ここの管理の人たちは、
「HIVはにんにくやトマトをしっかり食べたらHIVポジティブ反応が出た子がHIVネガティブになってなくなるのよ」
ってみんな真剣に言っていて、ここには他の国のボランティアの子達はいず、私一人でそんなことないって、薬必要って否定をしていて苦しい状態のときだったから嬉しかった。
ビザの関係やイギリスの会社手伝うために別の場所に移動しなきゃいけなかったので、長く働けませんでしたが、また行ってみようと思っています。
父親からまたメールがきて、
「アフリカのその町並みとかお金の価値(いくらで暮らせるとか食べ物の値段とか)人々のは収入源は何かとか、どんな建物、どんな服装、価値観、習慣教えて欲しい。そうすればお父さんもサヤカと一緒に旅ができる」
そういったことも書いていこうと思います。 父親が娘の日記見てるってなんか変だけど。母親も日記読んでいるようで今ではただただ早く帰ってきてちょーだいメールです。
2007年7月7日 原題「親からのメール」